自由を謳歌する事とその対価

もう、はてぶを更新することはないだろうと思っていたのですが、少し気が戻ってきたので、数年ぶりに更新。
まあ、目にする人はいないかと思いますので、本当ならチラシの裏にでも書き殴っておけばいいんですがね。

で、タイトルですが、Togeterでとあるまとめを読んだ時にですね、そのコメント欄に、「同人は自由」「何をやってもいい」てな趣旨の話が出てきまして、それで、まあ、いろいろと考え出してしまいましたよ。
私も、同人は自由奔放で良いと思ってる人間なので、その点については特に思うところはないのですが、ただね、「自由」ってのは無責任とは違うんではないかとは思うのですよ。
自由に何をやってもいいとは思いますがね、そうして謳歌した自由の対価を、場合によっては払わねばならないだろう、と。あれですよ、「自由と責任は表裏一体」みないなね。
自由でも、狭い範囲にしか影響をしないような謳歌のしかたなら、別段、対価を払わないとならない状況というのは発生しにくいとは思うんですよ。自分内とか家族内とか、そういう、ごく限定された環境ならね。
かわって、広く影響を与えてしまうような謳歌のしかただった場合、これは、対価を払うリスクは鰻登りすると思います。
で、この広く影響を与えてしまう状況ってのが、他者に対しての表現とかではないか、とね。同人もそうですし、ネットコミュニティーとかもそうですかね、この場合。
人によっては、そのどちらも限定された対象にのみ訴えていたものだった、という場合もあるかと思いますが、そのどちらもよほど特殊な環境でもない限り、外へと広がっている環境だと思うので、まま、「思っていたよりも影響が出てしまって、正直、どうしたらいいかわからない」みないな事態へと発展しやすいのかもしれませんね。
あれですよ、身内への受け狙いでやんちゃした画像をツイッターにあげたら、大炎上しました、みたいなね。
やんちゃするのも、その様子を晒すのも自由ですが、それによって発生した事象への責任は、自由を謳歌した人間が対価を払わんとならんですからね。自由だけ謳歌して、その責を誰かに転嫁なんてのは、まあ、無理ですから。

そんなことを考えていくと、なんというか、昨今の騒ぎの大部分は、自由とその裏に潜んでいるものをきちんと認識している人間が減ってきたことが原因なんでしょうかね?
表に見えている、自由だけが大々的に取り上げられて、その裏にあるものを忘れてしまっているのでしょうかね。
まあ、だからと言って、私が常に自由とその裏を意識し続けているられるかといえば、そんなこともないわけで。でも、気づいた時には、思い出してあげるようにはしているつもりですけども。

自由は良いものねぇ。誰もが、そうでありたいと思うだろうし。
でも、自由であるってことが、存外に危ない状況である、ってのも少しは考えてみた方がいいとは思います。
突き詰めていけば、自由な自分の責任を取るのは、自分以外にはありえないと思いますし。
まあ、想像できるあらゆる自由を謳歌した末に、責任取らずに死んじゃったら、どうにもならないですが。
その時は、誰が自由のツケを払うのかしら?
残された者達かねぇ。