逃げる、という性質

どもども、諸々あってアドレスが変わりました。
でも、本家からのリンクは変更していません。

さて、この頃、時間的な余裕というか何と言うか、考える時間が増加傾向にある為、色々と物思いに耽ってしまいます。
で、何気なく浮かんだのが、タイトルの様な事。

ここ最近の忙しなさの中、私は度々現実から逃げ続けていたわけですが、そういうところは今も昔も変わらないなぁ、と思ったり。
更に進んで、『ああ、そうか。あの人と全く同じなんだ』との結論に辿り着いたり。
ここで云う『あの人』とは、散々出てきた『あの人』です。 意味わからんわな、これじゃ。

親の背を見て子は育つ、ってな事はよく言いますが、つくづく納得している昨今です。
特にね、姪っ子の成長を見ていると、それを感じますね。
私なんかは気にしない、姉や義兄の仕草を色々と真似しているわけですよ、彼女は。
それを見てるとね、ホント、影響が大きいんだな、と。

それでですね、色々と私にも思い当たる節がある。
そういった事を考えていくと、あの人に対する怒りというのは、結局のところ『同族嫌悪』なのかと、そう結論がでそうです。
もうねぇ、考えるほどに似てるわけよ。
我侭だったり、短気だったり、後先考えなかったり、諸々と。
まあ、一応抑えてはいますが、根本的な部分は自分を誤魔化してるだけだから、一定の周期で歪み出る。
歪んでくると、いやもうね、自分で云うのもなんだけど、非道い。
本当のところ、ストレスが溜まるだけかもしれん、とか思うのですが、それを言ったら人とは付き合えんからね。
まま、それを出来無くて、あの人は孤軍奮闘してますが。
私も似たり寄ったりですかね。

段々考えていく内に、自分の内面が見えてくる。
そこに或る、大きな穴が認識で出来る。
見て、目を外らして、そのまま逃げる。
で、ここまで来ると、現実的に逃げるのよ。
簡単に云うと、『ひきこもり』
他人と接したくなくなる訳。
学校やらバイトやら会社やら、兎に角逃げ出して、籠っちゃう訳よ。
まま、そこまで重症ではないから、長くても一週間とかで戻るけどね。

精神的に弱いのが悪い、とか云われればそれまでですが、わかってても難しい。
グズグズ生きてきたけれど、それが定着しすぎて変わる気がおきなくなってる。
自己改革とか云うけれど、私には縁の遠いお話ですわ。
まあ、取り敢えずある最低限の人との繋がりが、今の私を如何にか此処に留めてる要因なのかな。

もう少しまともな文章に仕上げるはずが、感情の整理が付かず乱文へ。
てかね、こんな事はそもそもノートにでも書き殴るのが良い様な気がする。
まあ、でも、愚痴は誰かに聞いてもらった方が良いらしいので、不特定多数の人間に撒き散らすのも良いのか?
いや、只の恥さらしかもしれないな。

さて、如何したものか?