マスコミに対して「極一部の人間にスポットを当てて云々」ってのは無意味なのかもしれない

どもども、今回は風呂の中で舞い降りてきた思考の一部を。


タイトルの通り、マスコミ報道の一部バッシングにしか取られないような報道に対して、「それは一部の人間の行動であって、全てがそうじゃない」ってな抗議は無意味なのかもしれないなぁ、とか思いましてね。
何故かってとね、そもそも、マスコミ報道されている出来事ってのは、大概にして極一部の人間の行動でしかないわけでしょ。
事故・事件・政治・芸能、それら全ては仮に日本規模で考えたとしても、極一部の人間が関わっている事、と考えられるわけですよ。で、それを報道して、私達もそれを眺めている。政治家のスキャンダル、殺人事件、俳優の不倫報道。それら全ては、特定の個人の仕出かした事を大々的に公共の電波を使って垂れ流してる訳ね。
まま、政治家のスキャンダルってのは一応主権者である国民に「こんなけしからん政治家が居る」ってのを知らしめる効果は有るのかもしれんが、その他の報道は正直、あってもなくても変わらんだろう。殺人事件を詳細に、それこそ犯人の人間性を貶めてまで配信する必要ないし、不倫騒動なんて、腹の足しのもならんわけだし。
じゃ、なんでそういったものが放送されるのか。それは、そういった報道に飼い慣らされて、それが娯楽の一部として機能している人、過ちを犯した人間が極悪人でなければ、自分とは違う人間である、って確認できないと安心できない人達が居るからではないのか。とかね、どうでしょうね。
兎に角、マスコミが報道してきたのは私の生まれてから今迄、その殆どが一部の、特殊な人達の出来事であり、一般的とは言い難い、と言うか、一般的ではないものを扱ってきたのでないか、と感じてます。そして、見ている側も、それが当然のものとして疑う事がなくなった。この時点で、凡庸な集団に対してマスコミが興味を向ける事はなくなったのだろう。とね。
だもんで、そういった特殊なものを報道するマスコミと、見ている方もそれが当然と考えているのならば、「極一部の云々」ってのは聞く耳を持ってもらえないだろうなぁ、と思いますよ。まぁ、あからさまな人権侵害とかがあった場合は、出るところに出れば・・・どうなるのかなぁ、対処してくれるのかね。BPOとかの組織が有るけど、再三の警告を無視、とかって話を耳にした事があるしねぇ、どうなんだろうか。


と、乱文を書き散らしてみました。
私もオタクに属しているので、昨今の偏向報道には辟易していますが、オタク側としてもマスコミとの接し方を真剣に考えた方が良い時期に差し掛かっているんでしょうかね。ちょいと遅いのかもしれませんが。
例えば、個性豊かな服装をしていても、マスコミの取材を受けたらものっそい真面目な受け答えをして、趣味は大事にしてますが、世の中の事もそれなりに考えてますよ、ってスタンスを見せ付けるとか、マスコミの誘導尋問に嵌らない様に言葉を選んでいくとか。
うぅむ、難しいな。相手方の武器は、自由編集だからなぁ。それを証明できる手段があれば、強気な対応も出来るかもしれないけどね。
あぁ、知恵熱出そうだ。